蝦夷共和国!(これについての記述はありません)

蟹工船

 長い一日を終えた翌日、チェックアウトぎりぎりでホテルを出た。ほとんど昼だったが、北海道に来たのでとりあえず海鮮丼を食べた。それにしてもなんで蟹工船とかいう名前で海鮮丼屋さんをやろうと思ったのか。小樽にも多喜二っていうお店もあったし(ちなみに蟹工船キンドルで0円で読めることを教えてもらったので絶対読む)。

 

知らない

 海鮮丼を食べた後は、内村鑑三にゆかりがあるから!といって時計台を激推ししていた同行者がいたので時計台に向かった。時計台が旧札幌農学校演武場であることを知っている道民は何人いるだろうか。自分は道民であるのにも関わらず、時計台に入ったこともなかったし、現在の北大にかかわりのある施設であることも知らなかった。そもそも道民じゃない人と来なければ興味すら持たない何かのシンボルのままだったと思う。

 ていうか札幌農学校ってなんで建てられたの?農学校と開拓使ってかかわりあるの?開拓使って何したの?こんな当たり前のことも知らないということを知った。

 

札幌農学校

 その時計台激推しの友人が言うところだと、札幌農学校はもともと北海道の開拓を進めるリーダーたる人物を養成する目的で建てられた実学を重んじる学校であったのだが、いつのまにか形而上的な学問に傾いていったそうだ。この流れにおいて内村鑑三は改宗したそう(いろいろ間違ってたらすみません)。なんで道民じゃないのにそんな詳しいんだ。

 とにかく時計台は入ってよかった。中だけじゃなくて外にある木とか花とかもグーグルレンズで調べててすごいと思ったー。

 

矛盾

 お昼も北海道に来たからとりあえずセコマで買って食べた。時計台の前の空間に座って食べたが、観光客の人は時計台の中には入らないで外側だけ写真とる。

 時計台の後は北海道博物館に行った。行く途中めちゃくちゃ知り合いに似た人がいたけど、マスクをつけてるとみんな似て見える。

 北海道博物館はその名の通り、北海道の歴史をナウマンゾウとかマンモスとかそんなところから一通り展示している。もちろんアイヌの歴史もかなりのボリュームで扱っていたが、松前藩やそのあとの開拓使、そして戦争などの内容も充実していた。

 前日の時点で、アイヌと和人との交易品や文化の共通点も様々あることや、完全悪でないこともわかっていたが、やっぱり和人、開拓使がいなかったらアイヌの北海道での濃度はより高いものになっていたのではないだろうかと考えると、ヘイトが溜まってしまう。

 でも開拓使がいなかったら自分は存在しないかもしれない。矛盾した感情がそこにはあった。

 この日は寿司を食べて終わった。