前回のブログで鴨川を散歩するのにはまっていると書いた。でもそんなブログを書いてからすぐ行かなくなってしまった。これといった理由はないけれど、たぶんやりたいことがなくなってしまったからだと思う。しばらくやっていた韓国語の勉強もモチベーションが落ちてしまったし、ドラマも見終えてしまった。ゲームもやるとこまでやってしまった。

 元来イベントにはほとんど無縁な生活を送ってきた。クリスマスのウキウキした感じが嫌いとかいう段階は卒業したと思っている。でも寂しいものは寂しい。今年のクリスマスは友達がみんないなかったし、3日間ぐらい誰とも会わなかった。あまりにもやることがなくて暇すぎてどうしても病んでしまった。そんな折、少し前から読んでいる『中くらいの友達』中にある、南椌椌さんの「柿の木」を読んだ。

 朴在森さんの作品を引用しながらの論考だったが、自然の美しさとともに、美しさから由来する残酷さ、そして人間の感じる寂しさをよく表しているなと感じた。その内容はダークな雰囲気があるけれど、共感できてすこし元気になった気がした。

 自然のなかでも、冬の自然は最高に美しいと思う。木は枝をあらわにするし、夕焼けはきれいだし、夜は長い。雪は雨の上位モデルって感じ。そして気温で自然をアピールする。去年の秋から冬に変わるころソウルに行ったけど、そのころから寒いこと自体が好きなんだなと。つまるところ冬はダークなんだ。生きる死ぬなら間違いなく死ぬの方。そんなところに冬の美しさがあると思う。これ以上に神と人間の存在を感じさせるものはない。

    

 

 

    2020年の年末こんな感じで病んでいたけれど、この世には雪上グラビアというものがあるらしい。冬の雪上で水着やランジェリーで撮影するグラビアのことだ。なんで突然こんな話をするかといえば、その魅力が冬の魅力と無関係でないからだ。雪上グラビアは、死を感じさせる冬の情景に人間の生身を露出する。寒さで肌はピンク色に変化する。生の象徴ともいえる人間の生身が冬の死との対比でより暴力的なピンクを表現するのだ。視界に入ってくる生身は、冬のおかげでどんな生身よりも生身していて、性癖に刺さるものがある。

 病んでいたおかげで今までにない興奮に出会うことができた。激寒地域に生まれ、ようやく寒いことが好きだと気づいた段階で、雪上グラビアという新たな性癖を開花させてしまった。素晴らしい気持ちで年を越せると思う。