タトゥー

タトゥーを入れたい。

 

タトゥーは破滅願望の具現化のような気がしてよい。今すぐにでも消えてしまいたい時に入れたくなる。やっぱりたばことの相性とか日本で入れるというのを考えれば、普通の人生をやめたみたいなことだと思う。

 

でもタトゥーを入れた素敵な男性、女性のツイートをいいねした途端、単にセクシーな画像ばかりのツイッターになってしまった。

ツイッターの偏差値が落ちたかのような変貌ぶりに驚き、タトゥーへの偏見を強める結果になったような気がする。

 

自分を高尚な存在だと思っているわけではないが、クラブとかそういう概念に手を出せないのはそういうとこだぞ。

向き合い

しっかりと言葉を選ぶところが尊敬できる。

 

昨日はそういう行動が取れることを尊敬できる。そう思ったけれど、それは言葉選びだけでなく物との向き合い方としても反映できるかもしれない。

何気ない会話の中での言葉遣い。なんとなくハマっている趣味。概念と向き合う時、その時に適切だと考えられる思想を外に出す。

 

真に信頼できる人とはそういうものなのかもしれない。

鈴木大拙とムカデ

村上春樹の小説がやっぱり好きだ。

 

何もやることがなくて、何もすべきでもない。でも何かをやらなければいけない。そんな感情が湧き出てくるような時。あるいは単純に暇な時。そのどちらでも感情にしっくり来る。

 

村上春樹があまり好きでない人がいるらしい。もちろん自分でさえ全身が好きというものではないとは思うが、そういうふうに直接伝えられると悲しいものがある。

全部読んだけどよく分からなかった。退屈になってしまう。そういうのは多分、読むことによって何か明確な答えを求めている。

あなたは月の住人という表現が出てくる。時が流れるのを待ち、いい結果や悪い結果が出ようともそれをそれとして受け入れる。解決するのは自分では無いし、解決してほしいとも思っていない。この表現が好きではないのであれば多分はまらないんじゃないかなと思う。

努力を否定しているような感じはあるが、それでも時間は進むし、その時できることはやっているんじゃないかな。誠心誠意しっくりくる答えを模索する主人公は素敵だと思う。

 

鈴木大拙とムカデ

 

大拙のこともあまり分かってないけれど高い志を持った村上春樹。ムカデもある意味では村上春樹。メモメモ。

 前回のブログで鴨川を散歩するのにはまっていると書いた。でもそんなブログを書いてからすぐ行かなくなってしまった。これといった理由はないけれど、たぶんやりたいことがなくなってしまったからだと思う。しばらくやっていた韓国語の勉強もモチベーションが落ちてしまったし、ドラマも見終えてしまった。ゲームもやるとこまでやってしまった。

 元来イベントにはほとんど無縁な生活を送ってきた。クリスマスのウキウキした感じが嫌いとかいう段階は卒業したと思っている。でも寂しいものは寂しい。今年のクリスマスは友達がみんないなかったし、3日間ぐらい誰とも会わなかった。あまりにもやることがなくて暇すぎてどうしても病んでしまった。そんな折、少し前から読んでいる『中くらいの友達』中にある、南椌椌さんの「柿の木」を読んだ。

 朴在森さんの作品を引用しながらの論考だったが、自然の美しさとともに、美しさから由来する残酷さ、そして人間の感じる寂しさをよく表しているなと感じた。その内容はダークな雰囲気があるけれど、共感できてすこし元気になった気がした。

 自然のなかでも、冬の自然は最高に美しいと思う。木は枝をあらわにするし、夕焼けはきれいだし、夜は長い。雪は雨の上位モデルって感じ。そして気温で自然をアピールする。去年の秋から冬に変わるころソウルに行ったけど、そのころから寒いこと自体が好きなんだなと。つまるところ冬はダークなんだ。生きる死ぬなら間違いなく死ぬの方。そんなところに冬の美しさがあると思う。これ以上に神と人間の存在を感じさせるものはない。

    

 

 

    2020年の年末こんな感じで病んでいたけれど、この世には雪上グラビアというものがあるらしい。冬の雪上で水着やランジェリーで撮影するグラビアのことだ。なんで突然こんな話をするかといえば、その魅力が冬の魅力と無関係でないからだ。雪上グラビアは、死を感じさせる冬の情景に人間の生身を露出する。寒さで肌はピンク色に変化する。生の象徴ともいえる人間の生身が冬の死との対比でより暴力的なピンクを表現するのだ。視界に入ってくる生身は、冬のおかげでどんな生身よりも生身していて、性癖に刺さるものがある。

 病んでいたおかげで今までにない興奮に出会うことができた。激寒地域に生まれ、ようやく寒いことが好きだと気づいた段階で、雪上グラビアという新たな性癖を開花させてしまった。素晴らしい気持ちで年を越せると思う。

 

鴨川

 北海道に帰省してこっちに帰ってきてから、意味もなく7時起きを続けている。そのおかげか時間も余るし、なんだか外に行きたくなってよく鴨川に散歩しにいっている。北海道で綺麗な夕焼けを見て、すっかり夕焼けにはまっているわけで日の入りの時間に合わせて家を出る。季節も何となく好きな時期なので意外とはまっている。

 

 散歩しながら音楽を聴いて、空を見たり、鳥を見たり、人を眺めてみたり、歩きに集中したり、とにかく楽しい。楽しいんだけど、何だか悲しい気持ちになるというか、いろいろ考える。 

 

 最近聴いている音楽は、サカナクションと女王蜂が多い。普段はK-POPを見たり聴いたりしてるんだけど何となく散歩に合わない。多分歌詞を無意識に訳そうとしてしまうから。サカナクションも女王蜂もずっと聴いている人たちなんだけど、ここ最近は歌詞がすごく心に入ってくる。高校生とか大学生の一年目の時とかは、歌詞に響く人たちって浅いなとか何となく思ってたけど。

 

 何事もただ消費するのは簡単なんだけど、自ら関係者になるというか、受け入れて自分の中で解釈しなおして、さらに自分の中で広げることは難しい。その意味でサカナクションも女王蜂も自分のなかで広がっている感覚がある。サカナクションは歌それぞれに季節感があるように感じられてよい。セプテンバーとかはまんま9月だけど、自分の考えと一致するところが多くて補強してくれる感じが心地よい。女王蜂は自分の中でまだ解釈しきれてないくらいに情報が多い。終末。

 

 まあそんなことを考えながら、川の流れに沿って歩く。鳥は鳥だし、自分は自分。あなたはあなた。全部たまたま。明日は魚かも。私は水です。

 

鴨川

行けて良かったです

コーヒー

 この日もやっぱりセコマで朝ご飯を買った。「この時間はコーヒー、サービスしております。」どこにも書いてないのにただでコーヒーをもらってしまった。どこかに書いておいてほしい。さすがセコマだ。もう北海道はホットコーヒーの季節だ。

 

北海道大学植物園

 京都に戻る飛行機はお昼過ぎだったので、午前中に北海道大学植物園に行った。ここは札幌農学校時代に植物園の必要性を感じた人たちが、当時の植生を残しながらも海外の植物や、アイヌの植物を標本している植物園である。

 植物園はどうやって楽しむものなのか分からなかった私だが、どうやらGoogleレンズがあれば困らないらしい。それがなくても標本が丁寧で、なるほどと思えるように工夫がされており、とても楽しかった。トゥレッポん(オオウバユリ)がしっかり見れなかったのが残念。

 エゾリスの写真を撮っていた同行者が、蚊がでけえ!って言ってて面白かった。あと入口で体操をしてはならない。

 

北海道産羊肉を!!

 飛行機のチェックインまで時間がなかったのに、ジンギスカンが食べたくて松尾ジンギスカンに入った。松尾ジンギスカンは北海道産羊を増やそうと、開拓当時に挫折した牧羊を頑張っているらしい。現在のジンギスカンはほとんどがオーストラリアかニュージーランド産。そんなことを考える暇もなく、ジンギスカン丼を牛丼のごとく掻き込んで、空港に向かった。

 

北海道は広い

 四角くてカラフルな北海道の家屋とはさよならの日。ウポポイ、北海道博物館、開拓の村、そして小樽に行くことで、アイヌ開拓使を含めた北海道を知ってきた。知らないことを知ることができた非常によい旅だった。

 自分にとって北海道は故郷で、ただ物理的に広いと思う存在だった。今回の旅行で現在の北海道がどのようにして成り立ってきたのか、どんな歴史があるのかを少しだけだが知ることができた。でもこうして知ることができたのは北海道の道央のほんの一部でしかない。自分の育ってきたオホーツクはどんな歴史があったんだろう。どうして現在のオホーツクになったんだろう。

 北海道は広い。そのことを知識で感じることになった。

 

北斗帖

 関空から京都は遠い。同行者が違星北斗の『北斗帖』を読んでいた。キンドルで0円で読めるからぜひ読んでほしい。

 「滅亡に瀕するアイヌ民族に せめては生きよ俺の此の歌」

 

 

忘れてきた

セコマ

 北海道に行ったらとりあえずセコマなので、セコマで豆パンと桃の天然水を買って朝ごはんとした。ポテトは無かった。結局この旅行中はポテトを食べられなかった。この日は特に目的もなく小樽に向かった。

 

小樽

 小樽への印象は、小学校の時にポケモンスタンプラリーでスタンプを押したことと、中学校の修学旅行でオルゴールを作った思い出ぐらい。それくらいの印象だった。

 結論からいうともっと熱心に文章とか読んでおけばよかった。今振り返ると惜しいことをしたな。小樽の商店街に榎本武揚が突然現れたりして、蝦夷共和国!北のウォール街手宮─札幌鉄道!土方さん!もう忘れてきてしまった。でも3人じゃなかったら通り過ぎてたものばかり。トピックだけでも知ることができて良かった。

 とにかくここにも自分が知らない北海道の歴史、開拓史のくらいの時期の歴史があった。